「考え深い」

 ある悲しい出来事について、「考え深い。」としている文を見かけた。

 「感慨深い。」と書きたかったのかなと思ったが、そうとしても違和感がある。そうすると悲しい出来事に喜びを覚えているように読めてしまう。(思慮の深さを表す語句として「考え深い」という形容詞があるが、そうとしても意味を取ることができない文だった。)

 この間違い方は、聞き間違いと意味の取り間違いが同時に起きて生じているというよりは、聞き間違えて「考え深い」という字を頭の中で当てた時に「深く考え込んでしまうような」という意味を作り出してしまって生じているのかな?と想像した。様々な語句の意味が広がっていく流れは、こういったプロセスで起こってきたのかな、とも。

 Twitterで日本語ツイート全体を検索してみると、「感慨深い」の意味で「考え深い」と書いているのであろう意味合いの文も散見される。昨今の名詞の使い方についてのスラング的文法が、「かんがいぶかい」が「かんがえぶかい」に聞こえてしまう可能性を高めてしまっているのかも?