少牌マイティ初実践

三麻の集まりで前哨戦として念願の少牌マイティ初実践してみた!
各種推奨ルールも各所で挙げられているけど、とりあえずはマイティ牌の存在以外はいつものメンツでやってる三麻のルールのままでやってみた。

【参考:少牌マイティとは?】

とにかく脳みそフル回転になる時間が長くて長くて。時間が進むのが遅く感じられるほど。待ちの複雑さはもちろん、だいたい序順に聴牌か二向聴以下になるんだもの、当然よね。
3半荘しかやってないのに3~4時間ぐらい経ったような感覚になっていて、友達とは「まだ2時間も打ってないの・・・?」ってなるなど。

やるまえは「少牌マイティ終わった後に普通の三麻に戻ったらじれったくて仕方なくなったりして、悪影響が出るのでは・・・」と懸念してたけど、まあああああああったくの別ゲーで一切影響なく。三麻と四麻の間にある”距離”よりも、三麻と少牌マイティの方が”距離”が遠いんじゃないかと思えたなあ。大事にする牌の論理が決定的に違うシーンがあって、決定的に別ゲーという感覚。
なんなら三麻に戻したときには「手牌13枚って落ち着くね」っていう気持ちがめちゃくちゃ強かった。旅行から帰ってきたときに自分ちの匂いが分かるときのアレだね。少牌マイティで麻雀愛が深まるね。

今日はたった3半荘で、友達の2面待ち国士(しかも親番)も21面待ち七対子も目撃できて、少牌マイティ特有の何かを少しは感じ取ることができた気がする。
派手な場面ではないかもだけど、友達の34sと79sが未完成塔子での258s待ちを見たときに「これも”258s”・・・!」ってなったのが印象に残ってるなあ。あと、ふだん一向聴に対して使う言葉が全部聴牌に対して使う言葉に変わるのが、なんかいちいちそれらを言葉に出すたび面白かった。

自分も索子全部+アタマ待ち(当然のようにフリテン)を一発でツモってニッコリ。
楽しい!!!!!

めちゃ面白かった!
またエキシビジョン的にちょこちょこやりたい。

絵本修繕係とペーパーエイド

絵本の修繕が必要な生活がやってきました。

何度も繰り返し読んでくたくたになり始めてきていた絵本が
ちょっとした事故で、しっかり破けてしまいました。

実行犯は大っ変っ反省しているようでしたので、頑張って補修に取り掛かります。

セロハンテープは紙面ごと朽ちるので本の補修に絶対使っちゃダメ。
ってことで、「ペーパーエイド」を買ってきました。

フィルムルックス 補修補強テープ ペーパーエイド 2cm×10m 00120

質感はフィルムと紙の中間?
つるつるとしたマスキングテープといった感じですね。

破ける前の重なり具合になるよう破けた部分の位置を調整して、爪と指先で空気を抜きながら補修テープで張り付けていきました。

仕上がりはこんな感じ!

全然目立たなくなった!!すごい!!大満足!!

全面カラーのページでは貼り付け箇所が白みがかってしまいますが、テープ表面がマットな仕上げなので嫌な目立ち方はしていません。
全然破けた個所が目立たなくなってたまげました。


実はこの事件、同一犯による3度目の犯行の結果だったのですが、
自分も3度目にしてようやく絵本修繕係としての腕が上がってきた感じがします。

とにかく破ける前の状態をどれだけ正確に再現しながら張り付けることができるかに全てがかかっているので、事前に破損個所を採寸してテープはハサミで切っておくのがやはりベストかなと。
箱にいちおうカッターはついているのですが、これを使いながらの再現作業はかなり厳しいと感じました。このカッター、そもそも切り口がギザギザだし本の修繕には向いていないような・・・使ってる人いるのかな・・・。


今回は事件発生から15分程度で修繕を終えることができ、実行犯もニッコリ!!
このテープにはこれからも絵本だけでなく図鑑、教科書などなどで頑張ってもらおうと思います。
まあもちろん頑張ってもらわずに済むのがベストですが・・・そう甘くはないよね・・・!!

記憶のデザイン

 『コンピューターを操作しているときに必要なファイルがどこにあるか分からなくなる』というとても具体的な例から、私たちを取り巻いている現在の情報環境と私たちの記憶の作られ方との間にあるミスマッチを指摘し、私たちが自身の記憶(≒自分自身の在り方)をよりよく世話をするにはどうすればいいのかという問題提起から始まる思索エッセイ。現代での記憶の在り方から現在の情報技術とのかかわり方が(現状の危うさも含めて)丁寧に議論が進められていき、著者からは知識OS知識アトラスという2つの情報環境のツールを提案される。読了するころには、その2つのツールが欲しくてたまらなくなっていた。
 まず、記憶と自然・社会・技術・精神がそれぞれ別のレベルで相互作用していることが示され、その議論の過程で私たちに今必要なものが明確になっていく。個人的には、読書、特に積読の効用を『記憶のためのビオトープ』と指摘し、そこから知識OSのありかたが提案されたのが特に面白かった。また、知識アトラスという根拠探しのサポートツールも提案されるが、そのツール自体の妥当性そのものについても検証可能性を担保し続けることは科学の在り方そのもので、とても魅力的な提案だった。コロナで科学と市民のコミュニケーションについて厳しい現実をまざまざと見せつけられている昨今、知識アトラスの仕組みを持つ何かがブラウザに標準的に組み込まれる未来を願わずにはいられない・・・。
 自分自身について、00年代のインターネット日記時代以来、思い出を記録するためにネットを使ってきた面もあるはずなのだけれど、ここ数年は記憶を野ざらしにしてしまっていたかもなと考えた。インターネットとコンピューターで自分の状態をよりよく保つための1冊。楽しい読書でした!おススメ!

『ヒトラー最期の12日間』から『帰ってきたヒトラー』へ

ヒトラー最期の12日間』を観てからそのまま気になっていた『帰ってきたヒトラー』を観た。

ヒトラー最期の12日間』。とにかく疎い分野。こういった分野に最後に触れたのは『新・映像の世紀』かな。なので、視聴しながらwikipediaであれこれ人物について調べることも多くて、ヒトラーと側近の軍人の生涯を知りながら観ていった形。ここから、ミュンヘンオリンピック事件などを知ることにもつながった。

全体として、終戦目前で死んでいった人々の様子にやられてしまった。とにかくゲッベルス家の子どもたちのシーンがきつかったなあ・・・。この映画で知った史実ばかり。学ばねばね。

で、『最期の12日間』でけっこうメンタル疲れちゃっていたので、コメディ作品なんだろうから心を癒そうかなーっていう軽いノリで『帰ってきたヒトラー』を観始めてしまったが・・・これもなかなかおっかなかった。前半は結構笑えた。『最期の12日間』で色んな語彙や史実が頭に少し入っていたからだと思う。あと、これを思いっきりオマージュしてるシーンもあったので、その点でも、観る順番はこれでよかったなとも思えてる。

いくつかの入れ子構造と街中の人達へのインタビューシーンの挿入で現実世界との境界が観ているうちにあいまいになって、それがこの映画の恐さを一気に引き立ててくれていたように思う。すごい仕掛けだ。面白い!ほんと後半30分で一気にやられてしまった。
『最期の12日間』とは考え事の方向はまたまったく違うが、まあとにかく心の癒しはなかった・・・エネルギー使った・・・こんなはずでは・・!!

帰ってきたヒトラー』の方が戦争について考える材料を多くくれたかも。そんな気がする。